病気とは何ぞや・アメリカを救う
『栄光』179号、昭和27(1952)年
10月22日発行
アメリカを救う
私は標題の著書を目下執筆中であるが、左の一文はその中の一項目
で、参考になると思うから、載せる事にした。
病気とは何ぞや
序論にもある通り、現在米国における病気の漸増は何がためである
かを、その根本から説いてみるが、まず病気なるものの発生原因であ
るが、驚くなかれ病気というものは
医療が作るのであって、特に薬剤
がその中心をなしているという事実である。つまり病気を治し、病人
を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし増やし
ているという、到底信じられない程の迷盲である。そうしてこれは説
明の要のない程明らかであるにかかわらず、それに気が付かないので
あるから、全く二十世紀の謎といってもよかろう。それどころか益々
医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決出来るものと固く信じ
ているのである。ではそのような不可解な原因はどこにあるかという
と、それは医学の考え方が逆になっており、病気をもって悪い意味に
解釈しているからである。それをこれから徹底的に解説してみよう。
本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性
毒素と後
天性毒素とを保有している。先天性毒素とは無論親からの遺伝であ
り、後天性毒素とは生まれてから体内へ入れた薬毒である。というと
何人も意外に思うであろう。何となれば昔から薬は病気を治すもの、
健康を補うものとの観念が常識となっていて、良い薬さえ出来れば病
気は解決するものと信じ、それを医療の主眼としているからである。
特に米国は薬に最も重点を置き、新薬発見に非常な努力を払っている
のは誰も知る通りである。ゆえにもし薬で病気が治るとしたら、病気
は漸次減らなければならないはずであるのに、逆に益々
増えるのはど
うした訳か、これ程理屈に合わない話はあるまい。元来薬というもの
は、地球上ただの一つもないのであって、ことごとく毒物であり毒だ
から効くのである。それはどういう意味かというと薬という毒の作用
によって病気症状が減るから治るように見えるので、実は治るのでは
ないのである。
では薬がなぜ毒物であるかというと、そもそも人間が口へ入れるも
のとしては、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたの
が食物である。そうして食物にも人間が食うべきものと、食うべから
ざるものとは自ら別けられている。すなわち食うべきものには味を含
ませ、人間には味覚を与えられているのであるから、人間は食いたい
ものを楽しんで食えば、それで
栄養は充分摂れるので、これだけを考
えても造物主の周到なるは分るはずである。この意味において生きん
がために食物を摂るというよりも、食物を摂る事によって生きてゆけ
るので、ちょうど生殖と同様子を得る目的で男女が営むのではなく、
別の目的の営みで偶然子は授かるのであるから、神秘極まるものであ
る。
右のごとく人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物
は完全に処理出来ないようになっているので、薬は異物である以上含
まれている栄養分だけは吸収されるが、他は体内に残ってしまう。こ
れが薬毒であって、しかも厄介な事にはこれが各局部に集溜し、時の
経つにつれて固結してしまう。その集溜個所としては神経を使うとこ
ろに限られている。神経を使うところといえば、もちろん
上半身特に
首から上で、頭脳を中心とし眼、耳、鼻、口等であるから、そこを目
掛けて毒素は集中せんとし、一旦頸の周りに固結する。いかなる人で
も頸の周り、肩の辺に必ず固結をみるであろう。これが凝りであっ
て、ある程度に達するや自然排泄作用すなわち浄化作用が発生する。
その場合発熱によって毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、
下痢、熱尿等になって排除されようとする。これを名付けて感冒とい
うのである。
ゆえに感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して
自然に委せておけば順調に排泄され、体内は清浄化し治るという実に
結構なものであるから、感冒とは全く
簡易な生理作用で、神の摂理で
あるから、大いに感謝すべきであるにかかわらず、それを知らない人
間は、この浄化の苦痛を反って悪い意味に解釈し、これを止めるべく
考え出したものが医療であるから、いかに間違っているかが分るであ
ろう。そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力が旺盛であれば
ある程発り易いので、これを停めるには人体の活力を弱らせるに限
る。そこで薬と称する毒を用いたのである。昔から草根木皮、鉱物、
動物の臓器等から探り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりし
て水薬、丸薬、塗布薬、注射薬等色々な形にして浄化停止に応用した
のである。それには毒が強いと生命に関わるから、微弱にして、少し
ずつ服ませる。このため一日何回などと分量を決めたので、よく効く
薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたものである。
このように薬毒をもって溶解排除せんとする毒素を固めて来たの
で、今日の人間がいかに有毒者であり、病気が起り易くなっているか
は、近来予防衛生などとやかましく言ったり、感冒を恐れるのもその
ためである。また人間の寿命にしても六十余歳となったといって喜ん
でいるが、これも大変な誤りである。というのは人間病さえなければ
百歳以上は楽に生きられるのに、百歳以下で死ぬのは病による不自然
死のためで、無病となれば自然死となる以上、長生するのは当然であ
る。右のごとく医療とは病を治すものではなく一時的苦痛緩和手段
で、そのための絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々
すべての療法は固め手段ならざるはないのである。その中に一、二異
(ちが)うのは灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によ
って、その個所へ毒素を誘導させるので、楽にはなるが時間が経てば
元通りになるから何にもならないし、またラジウム放射で癌を破壊す
る方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織をも破
壊してしまうから、差引プラスよりマイナスの方が多い訳である。
以上のごとく現在までの療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であ
って、治す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのであ
る。何よりも医師は治すとは言わない。固めるというにみて明らかで
ある。しかも固め方法の内最も有効なものが薬であり、その薬が病原
を作るのであるから、医療を受ける程余病が発り易く悪化するのは当
然である。その結果ついに生命の危険にまで及ぶのである。それにつ
いてこういう事がある。治そうとして熱心に高貴薬など用いる患者程
成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患者程治りがいいという
話は、医師からよく聞くところである。また衛生に注意する者程弱
く、無頓着の者程健康である事や、医師の家族や病院の看護婦などが
多病であるのもよく聞くところである。面白い事には稀な健康者、長
寿者に訊いてみると、自分は病気した事がないから、医師や薬の厄介
になった事はないなどというが、吾々からみればそれだから健康であ
り、健康だからそうであるので、この点大いに味わうべきである。